【龍馬像をカラー化】本当の龍馬はどんな人物だったのか?
時代考証家・山村竜也氏と再現する“最も本物に近い”龍馬像
■常識よりも「便利さ」を重視した龍馬

脇には短刀を差している。鍔(つば)が付いていないため、脇差ではなく短刀であることが分かる。
次にこの写真で目につくものといえば、脇に差している短刀(たんとう)だろう。当時の一般的な武士は、打刀(うちがたな)と呼ばれる大刀(だいとう)と、脇差(わきざし)と呼ばれる短い刀の2本を腰に差していた。ところが、龍馬の腰を見ると、差してあるのは一本のみ。それも、短いものだけだ。
「これは脇差ではなく、短刀です。脇差は短い日本刀といった趣きですが、龍馬が差しているものには鍔(つば)がありません。つまり、今でいうナイフに近いものです。龍馬はこの短刀をとても気に入っていて、故郷に送った手紙にも書き記すほど、好んで持ち歩いていたようです。当時の武士に、脇差の代わりに短刀を差していた人はほとんどいません。大刀と短刀というのは非常に珍しい組み合わせで、龍馬はお気に入りの短刀を写真に残すべく大刀を外して、短刀がよく見えるように演出した、と考えられます」
武士の行動として、他人の家や店に入る時などは大刀を外すのが常識だった。大刀は、差したままでは座ることができないほど大きいものだからだ。しかし、脇差だけは差したままにする。山村氏によれば、それでも立ったり、座ったりの際に脇差は邪魔になるものだったという。それに比べ、短刀は動きやすく便利だった。龍馬はそのためにこの短刀を愛用したのだと考えられる。利便性を重視したということは、これもまた、龍馬の進歩的な性格を表すものといえるだろう。
また、当時の武士が写真撮影に応じる際には、大刀を差した格好であるのが一般的だった。あるいは手に持っていることがほとんどで、大刀のない武士の写真は非常に珍しい。山村氏は龍馬以外で大刀を持たない武士の写真は見たことがないという。
「そのため、私はかつて『武力による支配の時代は終わりを告げた』という龍馬からのメッセージなのではないか、と考えたこともありました。もっとも、他の写真では龍馬は大刀を差しているので、この見方は穿(うが)ち過ぎだったといえますが、それでも、ブーツを履いていることといい、大刀を持っていないことといい、龍馬が当時の武士としては型破りな人物だったことは断言できます」
この写真で大きく議論を呼ぶのが、右手を懐に忍ばせているポーズの意味、といえるかもしれない。なぜこのポーズになったのか。龍馬は常にピストルを持ち歩いていたとする逸話から、懐にあるピストルを握っている、という説がある。また、いつも所持していた万国公法(ばんこくこうほう)を懐で握っているのではないか、あるいはナポレオンの格好の真似をしているのではないか、などさまざまに語られている。
「これは、単純にポーズをつけていることもあると思いますが、おそらく右手に負った傷を隠すためでしょう。実は、撮影の数か月前に、龍馬は京都の寺田屋で伏見町奉行所の幕府役人による襲撃を受けています。ピストルで応戦しながら辛くも逃げ切りましたが、この時に両手の指に怪我を負いました。かなり深手だったようで、傷跡が残っていたと考えられます。それを恥じた龍馬には、写真に写るなら傷を隠したいという心境があったのかもしれません。現に、龍馬の写真ではすべて手指を隠し気味にして写っています」
ちなみに、これまでカラー化されてきた龍馬写真と比べると、今回の龍馬の表情はやや浅黒く表現されている。全国を飛び回った龍馬は日に焼けていたのかとも思うが、そうではない。
「龍馬は色黒だったとする証言が残っています。そこまで忠実に再現したカラー写真は他では見られません。そういった意味で、今回のカラー写真は、より本物の龍馬に近いものに仕上がったということができます」
たった一枚の写真から、進歩的な考えを持ち、豪放磊落(ごうほうらいらく)で、かつ繊細な龍馬の人物像が透けて見えてくるようだ。幕末を彩った数々の武士のなかでも、ひときわ人気が高いのも頷(うなず)ける。
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